現在は長岡市に合併されている寺泊ですが、「寺泊町史 上・下巻」に周辺地域を含む寺泊の歴史や、それにともなう画像が見られます。そのいくつかをご紹介します。
 
                              *長岡市より画像転載許可済み
       尚、「寺泊町史 通史編 上・下巻」は、寺泊文化センター内地域図書館で購入可能です。


図98 本屋と舟小屋の接続した漁屋

現在は大河津分水の通水による排出土砂により海岸線は沖へ大きく遠のいていますが、その昔現在の国道402号線沿いに漁師の家がありました。画像の家は間口3間、奥行7.5間で2階には居間、物置が、奥に舟小屋が接続していたそうです。

中は土間で漁船や漁具などを格納し、母屋には土間(ニワ)がありその奥には井戸があり、仕事から帰り足や体を洗ったということです。

当館も私が子供の頃には確かに井戸がありました。その昔、海岸沿いの民家は凡そこのようであったと想像すると、自然と生活、仕事の環境を通じてそこに住む人との関わり、変遷がうかがえ興味深いです。現在は建物は取り壊され、駐車場になっています。夏になると背後の山から蝉の声が響き渡ります。

*画像は当館より徒歩1分の国道沿いに存在した家屋

寺泊町史 通史編 下巻p.392~p.393より抜粋 


図120 円上寺潟周辺絵図(正保国絵図)

寺泊の海岸線より少し山側に入ったところに円上寺というところがあります。地名はかって17世紀中頃の正保国絵図に「円蔵寺潟」→円上寺潟からきており、その潟湖周辺には現在も地名の残る七か村がありました。村内を流れる島崎川の開拓で田や畑に土地改良が行われたようですが、図を見たときにシルクロードの幻のロプノールを思い出し、その地域の変遷を空想してしまいました。

寺泊小学校裏からや国道116号線から入った地域かと想像し、大雨の降った後に田に水が多く溜まっている所などがその辺りかもしれないと想像していたのですが、ある日新潟日報で、国上山の周辺に住まいしていた高齢の方が円上寺潟(と書かれていたようです)に映る山容を見ながら過ごしていたという投稿を読み、存在した場所は違っているかもしれないと気が付きました。

因みに現在の寺泊側の私的想像域には堤があり、春になると桜や菜の花が咲き、心癒されます。

                    寺泊町史 通史編 上巻 p.379~p.380より抜粋


図134 大和田の塩焚き小屋

古き藻塩の時代の後、18世紀の江戸時代から寺泊で行われていた製塩業。地の利を得て、通年稼業で生計を立てていた所もあったことが窺えます。今は大和田、郷本、山田の海は夏~秋にかけてウィンドサーフィンの姿が見られますが、近くにこのような塩焚き小屋が存在したことに驚きました。ちなみに良寛さんが仮住まいした空庵は塩焚き小屋だったそうです。 
また、江戸・文化年に滑稽本『東海道中膝栗毛』を綴った十返舎一九が、『諸国道中金の草鞋』に弥彦から出雲崎に向かう途中の寺泊・山田の旅をおもしろおかしく書いています。

                     寺泊町史 通史編 上巻 p.551~p.555より抜粋

第16図 古来より盛んに行われた七ッ石海岸での塩焚き(大正中期)

揚浜式でしょうか?それとも入浜式でしょうか?このように”塩浜”で生産されていたのですね。最近でも佐渡でより大きな塩釜が見られますが、人々の労力と時の経過のゆるやかさが感じとれます。今は波が打ち寄せる静かな砂浜になっています。

                      寺泊町史 通史編 下巻 表紙に続く画像より